厄年って…?

皆さん、厄年って気にしたりしますか?私は気にしないのですが(笑)

日本の慣習では根強くあるものですよね。

ですので厄年に何かあったら、という不安がでてくるのはとてもよくわかります。

 

厄年の過ごし方、についてこうするとよいと思いますよ!ってことを書いていきます。

 

 厄年とは

Wikipedia先生によると【本厄は男性の場合は、数え年で25歳、42歳、61歳、女性の場合は19歳、33歳、37歳とされている。特に男性の42歳、女性の33歳は大厄と呼ばれ…】

とあります。

 

厄年って前後で3年、1095日あります

私は今まで特に厄年って気にしたことないし、自発的にお祓いなど何かしたことがありません。

今の段階で、唯一お祓いをしてもらったのは、32歳(数え年で33歳)の本厄の時、高野山に行った時のみです。(友人がお祓いをする、ということだったので一緒に参加しました)

先ほど書きましたが、厄年って1回につき前厄・本厄・後厄と丸3年厄年が続くわけです。

1年を365日とすると3年で1095日。かなり長いですよね。

 

 

じゃあ、厄年って何なの

私の意見としては身体に変化のあるお年頃を言っている、と感じます。

青年から壮年、壮年から初老へ、肉体が変化するために病気をしたり、メンタルが不安定になったり、その結果ケガをしたりなどなど。

 

生きていれば厄年に関係なく、ケガや大病をしたり、家の中でトラブルが起きたり、メンタルが不安定になったりしますよね。

 

ちなみに中国での厄年は、日本での年女・年男に当たるそうです。(年女・年男って縁起がいいイメージなのにね。)日本とは真逆なイメージですよね。

 

そう考えたら、あまり気にしなくて良い気がしませんか…?

(もともと、私が厄年を気にしないってだけな気がしますが。)

 

厄年の過ごし方 

個人的には特に気にすることなく、身体的、精神的に無理をせず、大事に、いつも変わらず過ごせばよいと思いますが…

気になるようなら、ご自身の住んでいる氏神様のところへ参拝にいったり、自分がピンときた神社で厄払いをしてもらうのがよいと思います。

厄払いって、やはり自身の滞っている負のエネルギーがリセットされるな、と感じるので。

 

個人的にはお不動さん系の護摩焚きで行うお祓いはとてもパワフルです。

火を使ったお祓いは私との相性がいいのかもしれませんが、護摩修行に参加した後はとてもスッキリします。(浄化の炎だなぁ、といつも感じます。)

 

皆様の気になる事や、知りたいことがありましたら、ぜひブログにコメントをくださるか、Twitterにご質問いただければ幸いです。

できる限り、ブログやTwitterでお答えできたらと思っています。

 

また、ブログやセッションなどでお会いできるのを楽しみにしています。

 

 

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参照リンク

厄年 - Wikipedia

鏡の中の・・・

毎日、日に何度も鏡で自分の顔を見ると思いますが、

時々、鏡にうつる自分の顔に違和感を覚えることはありませんか?

 

違和感を感じるときは、あなたに他の人の想いや念といったものが来ているから、かもしれません。

強すぎる念は時と生霊としてなる場合もあります。 

今回の記事は私なりに感じ、考えたことを書きたいと思います。

 

生霊とは

冒頭でちょっと怖いと思われることを書きましたが、生霊の定義は【生きている人間の強い想い(思念)】だと私は思っています。

生霊と聞いて思いつくイメージは恨みや嫉妬、嫌悪といった他人への気持ちがその人のもとへ飛んでいき取り憑いている、といったものが多いと思います。

しかし大好きな、彼氏・彼女、パートナー、家族、親友などへの好きなどの愛情、感謝といった好意的な思いも生霊として相手に行く場合も多くあります。

ネガティブな生霊は悪意ゆえに人に害をなすことがあり、一般的にはそのイメージが強く生霊というとそれを思い出しますが、一言に生霊といっても正直、色々です。

 

ちなみに人として生きていれば、たいてい人は想いや念を出して(飛ばして)いるし、逆に人からのそれを受けている事もある。

(結果としては案外気にしなくても…普通に生活する分には影響がないことのほうが多い。笑)

 

想いはエネルギー

人の気持ちはエネルギーです。

 

目に見えないものですけど、それは皆さん納得していただけますよね。

強い思いは目には見えませんがエネルギーの塊として「ある」んですね。

それが自身のやる気などのモチベーションを上げるものにもなれば、

ネガティブなエネルギーに囚われてしまったときは、精神的に不安定になり、うまくいかないことが増えてしまったり。

気持ちや体調を左右する気持ち(エネルギー)は自分のみならず、人にも影響を及ぼすことができます。

 

鏡の中の顔がいつもの自分ではない

日に何度か、自分の顔を鏡で見ることがあると思いますが、何かいつもの自分の顔と違う、違和感があるときは生霊が自分についている可能性が高いです。

一番わかりやすいのは目の表情が違う。

たとえばいつもよりキツイ目だったり、目そのものがまるで自分の目じゃないように感じたり。

 

生霊が来ている時の症状はほかにもありますが、自分でわかりやすいのは「いつもと自分の顔が違う」

これですかね。

 

 生霊かなと思ったとき 

人それぞれで適切な対処法は違うのですが、緊急避難的な対処は以下の通りです。

  • 朝日(午前中)のなか、散歩しストレッチをする
  • 荒塩を入れたお風呂にゆっくりつかる
  • 近所の氏神様に参拝に行く

でも、まぁ、基本的によほどのものじゃない限り離れなくても大きな問題はないので、自分なりに精一杯、毎日を過ごすうちに外れていると思います。

(なぜ外れるかなどは、機会があれば別のところで。)

最後に

生霊が憑いているときは、何かしら自分に向き合う課題があるときが多いです。

例えばですが

  • 肉体が限界まで疲れすぎていて、憑かれた→体を労り、元気にすることでつけ入る隙をなくしたり
  • 気持ちが沈んで仕方がない→向き合うべきことに向き合わず、ズルズルしているうちに同じような低いエネルギーのものに憑かれてしまった(しっかり課題に向き合いましょう)
  • 底意地の悪い性格→恨まれて当たり前なので、あきらめるか、反省し性格を直しましょう(笑)

といったかんじです。

原因が何か向き合い改善させると外れたり、憑かれにくかったりします。

(たまに憑依体質の人もいますが、この場合は上記に当てはまらない特殊ケースです)

 

自分の顔がおかしい!と思ったときは心当たりがないか、じーっくり、考えてみてください。

 

皆さんが課題をクリアするごとに、より自分らしさが発揮されると思います。

 

では、次の記事でもお会いしましょう~!

はじめまして。

はじめまして!たもがみ王香です。

 

私は現在スピリチュアルカウンセラーとして活動しています。

もともとは霊感も全くないような状態から、チャネリングと呼ばれるものを学び

十年以上。。勉強と修業をし、今に至ります。

 

私がスピリチュアルと呼ばれるものに最初に覚醒したのは…どれなんでしょうね?笑

いくつもの転機があり、つど扉を開いてきたんだとおもいます。

 

一番最初の記憶は、イタコのようなもので亡くなっている祖母を、母の知り合いが降ろしてくれている場面ですかね。

私はたぶん、ほんの二・三歳くらいだったのではないのでしょうか。

私の母が降霊した祖母と話しているときにお前じゃない、っていわれて笑

孫(私)と話す、と呼ばれたんですよね。

既に鬼籍で一度も会ったことのない祖母に手を握られて話しかけられて面白いな、って思いました。そして、あぁ、この人ほんとにお祖母ちゃんなんだなって直感したのを覚えています。

 

次は中学生の時でしょうか。

占い好きの友達と仲良くしたくて、占いとか全く興味ないのにタロットカードを本屋で買って、付属の本で勉強したんですよね。

友達を占うと喜ぶから。笑

(今思えば本の解説を読み上げてるだけでしたが)

年バレしちゃうかもですが、当時、プチレモンって中高生が読むような?占い雑誌があって私以外はみんな買っていた。(好きな彼とうまくいくための占いとかおまじないが書いてあるような雑誌だったと思います。…多分。)でも私は興味なくて…。

 

でもそのタロットは高校生の時も放課後に図書館でやってました。この頃は解説本がなくてもリーディングできるようになってました。

(結構広い雑談スペースみたいな場所があったので、訳もなく毎日皆でたむろってましたね。)

図書館にはあとは評判を聞きつけた同じ学校の全く知らない子とか占ったり…(これは面倒くさくて嫌だった笑)

 

ここまで書いてみて思うのは、どんだけコミュ障なんだ、わたし…。

ってことでしょうか。

占いをツールにすることで人とのコミュケーションを図っていたんですよね。

私は勉強も、運動も平凡。容姿はいまいち。

周りは好きな男の子の話とかしていても、全く興味なくてついていけないし、聞き役で。

そこに入っていくには、占いをする、って良いツールだったんだと思います。

 

社会人になって、タイで行われたウエサク祭に参加したことで本格的な覚醒を体感しました。

暁の寺院(だったと思う。うろおぼえ)でタイ王女も参加した儀式に参加していたのですがそこで瞑想していて、そこで私の脳裏に光り輝く菩薩が下りてきたんですね。右手は輪っかの印を結び左手は蓮の花を持った菩薩が。…帰国後にググったら聖観音菩薩と判明しました。

こちらは、儀式に飽きてて(タイ語わからないし)うつらうつら船漕ぎそうになっている脳内にポンって出てきた菩薩にびっくりです。(そして意味も分からず大興奮)

まだ、スピリチュアルとはなんぞや?みたいな感じだったので、詳しい子に意味を求めたりして。

でも、今思えば導かれたんだな、と感じています。

 

最後にこれまた導かれたようにスピリチュアルスクールに入り、何年かそこで過ごしました。(ここは話すと本当にもう、長くなります…)

 

今は、セッションを通じて相談をうけたり、私から道しるべとなる選択肢を提供したり、そういったことをお仕事にさせてもらっています。

 

目に見えないものを伝えることを仕事にしていると、詐欺師とか嘘つきとか、気持ち悪いとか、そういった悪意ある言葉もぶつけられますが(一度も視たことのない当時の会社の先輩に言われたんですよね。)でも、私の活動を必要としてくれるみなさんに支えられて、今に至ります。

 

今後の目標も、皆さん一人一人の意識が覚醒ににつながり、今まで以上に自分が自分らしく生活できるようなお手伝いができたら、と思っています。



tweet: @tellues07